Coaching (指導)について (2018年8月31日)

 みなさん、調子はいかがですか?? 私は京都に戻ってからのここ数週間多くの生徒や常連さんを指導する充実した毎日が続いています。 いつものことながら、とても意欲的で少しずつ変化を生み出していく彼らを見ていられるのはとても良い気分です。 そして、前週だけで新しい生徒さんが3人私の所に来たので、興味深いコーチングが増えさらに充実した日々になったと思います。 ではなぜ私は後進の指導に時間と労力を割いているのか? なぜこれほど一生懸命なのか? 3つほど頭に浮かぶものがあります: やはり生徒や顧客に対してよく配慮したく、大切に思っているから。 これは当然のことです。 新しい習い手さんが来られる時に必ずと言っていいほど耳にする問題があるのですが、それは何かと言うと、指導者によるサポート不足です。 十分でまともな時間を割いて生徒を指導できる指導者がいなかったり、各々の生徒の問題点が何なのか、またそれをどのように修正すればいいのかを的確に判断できる指導者がいなかったり、 各々の生徒にあった道を見つけ明るい未来を切り開くことのできるような指導者がいなかったりで、 生徒側はもどかしい思いをさせられるのです。  私にはその気持ちがよくわかります。周知の通り、今時の指導者たちが手を抜いているからなのか、指導者に必要な能力が欠けているからなのかは不明ですが、いいかげんなことを言ったり、その場凌ぎの対応をしたりする講師がかなりいます。 セッションの中で、指導者は生徒に練習の仕方をしっかりと理解できるように説明しなければなりません。価値や意義のないことには取り合わず、物事の核心となるものにフォーカスして解決法を探るのが私のやり方です。他の講師とちがって、私の場合は倍以上の時間をかけてやっていき、またその指導要領は私自身の10年以上にも及ぶ欧米での経験と世界的師匠が発展させた理論や演奏技術に基づいています。ですから、5分も観察していれば何が問題なのかすぐわかりますし、それをどうやって直すかという対策もできます。(患者に処方箋を出す医者みたいですが。) そういった生徒への手助けが十分にできないのなら、指導者としては失敗でしょう。     2. 偉大なことを達成するためには、 モチベーションは不可欠 同じことの繰り返しばかりで人生やキャリアが成り立つわけではありません。 当然『継続は力なり』とはよくいいますが、 何も変えずに成功を成し遂げることはできません。 指導している際に、時には何を練習すべきかということを話すのではなく、これまでになかった考え方や深く掘り下げた問いを生徒に与え、自分自身で考えさせるということをします。 講師に指示されたことのみをやるのは頭を使わなくて楽なようですが、少し立ち止まって考えて、全体像をみて別の角度からアプローチすることも必要になってきます。 また長いプロセスの中で最初にあった勢いを道半ばで失うことはよくある現状です。普段とちがう度合いのインスピレーションを得ることでまた創作的意欲もいっそう増すものです。このような理由で私でさえいまだに自分の師匠にガイドを求めているわけです(生きている限り私の師匠は永遠に師匠であり続けると思っています)。特に若い生徒たちが置かれた日常的環境を考慮すると、彼ら自身がこういった変化を自発的に行うとのは難しいでしょう。 生徒にちょっとしたエネルギーを違った風に加えることで、残りのプロセスをより生産的なものに変えるのも、指導者の役割だと考えています。 3. 生徒や顧客のコーチングは私にとっても大きな活力 教師・講師の多くが、生徒の指導のあと疲れ切ってしまうようです。 指導中の体の運動と、よりよい指導をしようと頭を酷使することによる脳の疲労の両方です。

ビデオを載せました!(2018年8月17日)

下記にあるのは、先月初頭に行われたドイツ・ウォルフェグでのコンサートを直前に、ヴィヴァルディの『四季』をリハーサルしている模様の一部です。 指揮者マンフレッド・ホネックとヴァイオリニスト、レイ・チェンという華々しい集い。それぞれが違った国や境遇で育ち活躍するアーティストが勢ぞろいのアンサンブルが同じアイデアやスタイルを共有し融合させていくというのは、全く簡単なことではありません。この2人の解釈の相違は1回目のリハーサルから顕著なものでした。 全体を通して2人の異なった立場・観点による芸術的展望をしっかりと把握し、2人の仲介役もしながら弦合奏団に彼らのスタイルを伝達しうまく一体化させることが、私の今回のコンサートマスターとしてのミッションでした。 映像からは確認できませんが、レイ・チェンから飛び散ってくる汗の量は半端ないです。私も本番になればコンチェルトの開始5分ほどで汗が出てくることがありますが、彼のそれは漫画になってもいいくらいでしょう。 とりあえずビデオを見てみてください(ちゃんと動いていますか??)   松川 暉    

いよいよ真夏!(2018年7月10日)

お久しぶりです! 最後にこのサイトで投稿してから長く経ち、すでに夏になってしまったことに気付きました(!!)。 ここ3か月は信じられないほどのハードなスケジュールが続き、神経の集中を要する月日でした。 購読者のみなさんには、お詫びしても切がないほど長らくお待たせしてしまいました。 今は、イタリア南部にあるマルティーナ・フランカというやや小さい地方の一角から書いていますが、今日も明日もずっとスカラ座アカデミア・オーケストラのフェスティヴァル活動で合間を縫うほどの時間しかありません。 ここ最近で最も特筆すべき事といえば、やはり先月末から今月初頭にかけてのドイツ南西部ウォルフェグへの音楽ツアーです。今回の指揮者はマンフレッド・ホネック。準備期間は理想的ではなかったとはいえ(場所が教会や少し違ったコンサート会場で音響効果への順応がやや困難だったことも加え)、終始集中力を切らさないように心掛け、最大限の力を尽くして私だけでなく、アカデミア・オーケストラ全体や観客にとっても歴史の重要な一部として刻むことができたと考えています。 このツアーでは2つの公演を行い、1つは合唱&管弦楽のコンサートでケルビーニの「レクイエム」、マクミランの「管弦楽のためのラルゲット」と合唱のソロなどが曲目でした。もう一つはロッシーニやヴェルディの序曲に加え、ヴィヴァルディとピアソラのそれぞれの『四季』を演奏。ソリストは世界的に活躍する未だ若手のレイ・チェン。実際にリハーサルを数回重ねて率直に思ったのは、なかでもピアソラが彼にとってぴったりの曲だったことです。もちろん彼は入念にこの曲の研究をしていたでしょう。ただそれだけではなく、彼の持ち味である比較的豪快な演出と情熱的エネルギーが彼の良さを遺憾なく引き出していたように思います。 そして、まだ完全に手に入っていないヴィヴァルディを一人で懸命に練習している姿も印象的でした。拠点はベルリンとフィラデルフィアの両方だと言っていましたが、これから益々世界を驚かせる演奏をしていくに違いありません。(すでに他のソーシャル・メディアでご覧になった人もいるかと思いますが、また後ほどやや長めの動画をhikarumatsukawaviolin.com にて投稿します)   左: ドイツ・ウォルフェグのホールにて指揮者マンフレッド・ホネックと 上: 若手ヴァイオリニスト、レイ=チェンと (共に6/30撮影)   今回両方の公演を指揮したのがマンフレッド・ホネック。日本での知名度はどれほどかわかりませんが、世界屈指のウイーンフィルハーモニー管弦楽団でヴァイオリン奏者・ヴィオラ奏者として長きにわたって活躍してきた、熟練音楽家です。米国のピッツバーグ交響楽団(レイ・チェンと同じペンシルヴェニア州)の常任指揮者としても活躍済みです。 ウイーンフィルは、伝統的に自分たちの音楽性を最も尊重して貫き通し、安易に外部からの指揮者の提言を受け入れない硬骨さで有名です。芸術の都と呼ばれる、歴史、神秘性、魅力にあふれたウイーン。そんな地で実際に生まれ育ち、出身者として自らウイーンの音、空気のにおい、食べ物の味(特にビール?!)を知る人から学ぶ機会はとても貴重なものです。もちろん、リハーサルの時間には限りがあり、全てを語ることはできません。しかし、このような人物が何かを言った時には、他の音楽家にはない説得力が自然と湧き起こるのです。この機会に巡り合えたことに深く感謝します。 マンフレッド・ホネックの素晴らしさは、関心を欠かすことなく様々な活動を通じて国際的に人と交わることができる所にあると考えています。実に彼は、今年で60歳の誕生日を迎えます。それでいてこの年になってもまだ新しい人に絶えず興味を持っているのです。若い音楽家が臆することなく音楽に取り組むことができる雰囲気を創り上げ、リハーサルの中でも個々の団員に直接名前や国籍を尋ねたりすることもよくあります。もちろんユーモアも忘れません。世界の巨匠たちに出会ってきた私にとってこういったことは特別驚くことではないのですが、当たり前のことというわけでもないのです。世界を見渡せば、年を取るにつれさらに心豊かになり野望を燃やす人間と、年を取るにつれ閉鎖的になる人間の2種類がいます。前者にはあらゆるものを正しく深く理解し感じる能力がありますが、誰もがそうというわけではありません。むしろそのような教養深い人はごく一部の人たちでしょう。それは多くの人にとって簡単なことではないからです。最も重要なのは、現状に満足せず、野望を保ち、常に知ろうとする意欲。それが芸術に対する関心であれ、自然に対する関心であれ、時と季節に対する関心であれ、人間に対する関心であれ、そもそも関心や好奇心がなければ何も始まらないのです。しかし、心を開き学ぶ・知ろうとする野望を持ち続けることができるなら、人生の可能性というものは無限に広がるでしょう。 マンフレッド・ホネックが今なお世界を旅し、これからも命ある限り旅し続けるであろう理由はここにあるのではないでしょうか。 松川 暉

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