時間を無駄にする9つの練習方法(2017年9月30日)

今日は9月30日で、もう秋という季節がすぐそこになりました。 時間の感覚というのはとても不思議なもので、速く感じたり遅く感じたりするものではあります。しかし現実には、時計はただ刻々と時を刻みのみで、決して元へ戻ることはありません。私たちの人生は毎秒どんどん短くなっていくのです。 人間の権利と同様に、私たちが生まれた時から平等に与えらえている『時間』。 しかしながら、世の中では人生の終わりに差し掛かったときに、 多くのことをやりとげた人たち    と    あまり多くをやりとげることができなかった人たち に分かれてしまいます。 シェークスピアの劇作品に次のような台詞があります: “I wasted time, and now doth time waste me.” 直訳すると、「私は時間を浪費し、今や時間が私を浪費している。」となります。 つまり、時間を笑うものは時間に泣く、という趣旨。 21世紀となった現在では、これまでになく環境がテクノロジーや電子機器であふれかえっています。そのため、こうした気を紛らわせるものから自分の時間を守り、より多くのことやり尽くすための時間の管理を徹底するための能力が不可欠になりつつあります。 あなたは今まででどれだけの時間を無駄にしたと思いますか? 時間の浪費方法がどれだけたくさんあるでしょうか? 音楽家にとって、目標を達成するための決定的な要因となるのは、「生産性」に他なりません。 なぜそう言い切れるのかと思うかもしれません。 私は20年以上のキャリアで数々のコンサートやコンクールを通して、失敗も成功も両方経験しています。そうして、実際に音楽の練習においての「生産性」の向上・最適化に関してはよく知り尽くしています。

カール・フレッシュの音階教本が最良ではない理由 (2017年8月31日)

誰もが目にしたことのあるあの音階教本。 ヴァイオリンを学んだ私たち皆がどこかしらの基点で用いたことのあるカール・フレッシュ版スケール。 全24調にマニュアルのごとく同様のフィンガーリング(指使い)が当てはめられ、その単純明快さにヴァイオリンを学ぶ人々は魅了されました。今日でも音楽学校の試験やオーディションなどの課題にもあげられるなど、出版以来世界中で広く普及しています。 ある意味革命的なものだったといえるのかもしれません。 150ページにも及ぶ分厚い教本を手にとり、譜面台へ置く。 そしてその教本を開きページをぺらぺらと捲り、選んだD minor (二短調)にたどり着く。 譜面に書かれている指示・記号等を見て、第5・6・7・8・9・10番のスケール&アルペジオを淡々と弾き始める。まさに単純作業ともいえるプロセスで、「これだけ?結構楽なんだなあ(物足りない気もする)」という具合。 単純作業?! しかし、このフレッシュの教本には問題点があります。 人間の手には1~4の指があり、冒頭でも既に4つの指使いのパターンが存在します。ところが、譜面を見ると、1通りかせいぜい2通りの指使いしか与えられていません。 例として、二短調のスケールでは1音目の上に「2」と書かれており、第3ポジションで始めるとわかります。ですから、誰もが第3ポジションから始めてこのスケールを弾くわけです。あたかもこれが唯一の指使いとして認められているかのように。 しかし、もし第1ポジションすなわち4の指で始めたらどうなるでしょうか? もしくは第2ポジションすなわち3の指では? または第4ポジションすなわち1の指では? これら全てのパターンにおいて、シフティングと指の弦をまたぐ移動のタイミングが全て変わってくるのが容易に理解できます。    無論、これらの指使いの中には実際の奏法でよく使われるものとそうでないものがあります。 ヴィエニアフスキ、パガニーニ、イザイなどの名ヴァイオリニストたちが残したヴァイオリン協奏曲などは、おおよそ従来の習わしに沿った指使いがとてもよく合う音列が多くなるように書かれています。 しかしシューマンやその他ヴァイオリニストではない作曲家が残した作品は、ヴァイオリンの特性を生かし切れていない場合も多く、”伝統的”指使いがあまり有効ではなくなってしまうわけです。 これが、あらゆる指使いを試して練習しておかなければならない最大の理由でしょう。 私自身はこのスケールを全ての指使いのパターンで練習済みで、どのパターンにも全く違和感はありません。 しかし今までの中で、ワン・パターンの指使いに執着してきた生徒さんたちが、いざ曲の難しいパッセージや慣れない状況に遭遇したときに大変苦労しているのを数多く見てきました。 あまりにその指使いが頭から離れず、他の解決策が思いつかないわけです。

永遠に忘れぬ経験 (2017年7月9日)

快晴の日曜日となりましたが、皆さんいかがお過ごしですか? (こちらは気温31℃ほどですが、日本はおそらくもっと暑いのでしょうね) 金曜日からここでぱりっとした美味しい空気とウイーンの日光を浴びながら、数日間の旅を満喫しています。(ところで昨日は午前快晴、午後大雨、夜満月と、波乱というかめまぐるしい1日でした 🙂 ) 古く歴史のある建築(家や大聖堂など)、銅像、そしてなんといってもドナウ河。芸術の都という名に恥じずすべてに威厳があり、これらに囲まれて過ごすひとときは格別です。こんな世界を今まで長年ずっと思い浮かべていたわけです。あと2、3日はここで過ごす予定です。 ブダペスト最終日の祝賀騒ぎに加えて、ウイーンへの移動と大忙しで書けなかった木曜日のドナウ宮殿でのコンサートについて書いておきます。 平日で日中の開催だったものの、観衆はほどよく集まり、雰囲気も穏やかで好ましいものでした。   私と指揮者アンドラス・デアク、そしてドナウ交響楽団は、本番までの1週間ほどをドヴォルジャーク・ヴァイオリン協奏曲の練習でともに過ごしましたが、本番に至るまでの経過だけでも素晴らしい貴重な経験といえるものでした。 もちろん、曲を仕上げる過程でいくつかの問題があったのは事実です。ドナウ交響楽団はまとまりのある楽団でしたが、この協奏曲についてはまだ経験が浅く、細かい表現やダイナミック、バランスなどを配慮する余裕が足りず、指揮者と私両方にとって問題でした。我々が置かれた一つ一つの状況というのは毎回異なり、上手くいくはずのものが上手くいかなかったりということが何度もあります。どれだけ入念に準備して構想を頭に浮かべても必ず壁にぶち当たるのが現実の世界です。今回もそういう意味では全く同じような困難があり、そこで苛立ったり落ち込んだりせず、困難に向き合いそして状況に適応し、最善の解決策を見出す努力をしたことはとても重要だったと私は考えています。そうしてこそ、ソリストだけでなく指揮者やその他全ての音楽家はたくましく成長し、立派な音楽家になるのではないでしょうか。   誠に喜ばしいことながら、この公演後、2018-19年シリーズのドナウ宮殿でのドナウ交響楽団とのコンサートに再び出演することが決まり、協奏曲を演奏する機会を頂きました。 次回は今回よりももっと素晴らしいコンサートになると期待しています。そして、それに伴う数々の挑戦も非常に楽しみです。 最後に、マネージメントにおいて、秩序を保ち、予定・企画などを遂行し、この大きなプロジェクトを成功させた最高責任者のラスロ・ブラスコヴィチさんに感謝の言葉を申し上げます。彼が真摯に努力し、寛大さと信念をもって創り上げてくれた偉大な機会はこれからも忘れることはなく、心の底から感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。 松川 暉      

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